プラスの言葉と精神論

このエントリを読んで思ったんだが、

 マイナスの言葉を使うな。プラスの言葉を使え。ってホント?-FPN

『「お疲れ様」という挨拶の代わりに、「お元気様」と挨拶をしている会社があるそうです。』という記述があるんだけれども、これは実際に前職であった。理由としても似たような意味。疲れていないのに、お疲れってネガティブな印象を言われると、仕事に差し支える、と。

さらに、2つのみかんを用意して片方にありがとうといい続けると、もうひとつの方よりも腐るのが遅くなる、という実験映像まで見せられて、ポジティブな言葉を使いましょうということだった。

当初聞き流していたのでどうでもよかったけれども、組織がこういう方向に動き出したらもうおしまい。日々の生活に精神論的なものを取り込んでしまうから。そもそも、「お疲れ様」という言葉の「疲れ」という言葉の意味に着目しているだけ。実際に自分達がこういう決まり文句的な言葉を発する時には、その時のメンタルの状態で印象が変わる。元気に言えば、それで済むだけであってその言葉が含む個別の意味なんぞを見る必要なんてない。「お疲れ様」はそれひとつが挨拶であって、通常使わない「お元気様」なんて使う方のストレスの方がよっぽど大きい。これは、言語を屁理屈で考えるタイプに多い思考で、言語が生き物ということを理解していない人に見られる傾向。

みかんの実験に関しても同様。

 覚えておきたい、ニセ科学リスト-妄想科學日報

このエントリの中にある次の記述が、似たようなもの。

水からの伝言

「水に"ありがとう"と書いた紙を見せると綺麗な結晶が、"ばかやろう"だと汚い結晶ができる」という宗教的説話。単に思い通りでない結果が出た時は失敗として処理してるからそう見えるだけ。

逆説的に、水に良いことか悪いことかの判断を委ねるという思考停止。

平たく言うと、ありがとうネタもみかんネタも、効果に関しての根拠などない精神論的な話。それを社員に強要させるなんぞ、いってみれば悪質な霊感商法とさほど変わりがない。

思考停止、という記述があるけれどもこれはピッタリの表現だと思う。何か問題点があった時に、その原因を考えずに他のところに原因を求める安易な姿勢が、こうした楽な方へと人を導いていく。

例えばパチンコやパチスロの世界では、こういうものをオカルト、と呼ぶ。例えばパチンコなんかは、完全確率方式で大当たりの抽選を行っている為に、理論上 1/300の確率の台だとしても分母の7倍ぐらいのハマリは十分に想定できる範囲。つまり、2000回以上まわしても、1回も当たらない可能性はある。ところが、こうした理屈を理解していないと2000回も当たっていないなら、もうそろそろ当たるだろうと考えてしまったりする。典型的な負け組の思考回路である。


同じネガティブな言葉でも、使っちゃいけない場合はこの思考停止の状態を晒す場合。つまり、何か仕事を振られた場合に即答で「無理」「難しい」と返す人は多い。無理というのはとてもネガティブな言葉で、かつ便利。自分はこの言葉を仕事においては即答で使用することを自ら禁じている。それは、実際に内容が困難と思えるものでも、1回方法を考えるステップを踏むようにしないといけない。それを経たうえで、

「○○という理由で無理です。その代わり○○というのはどうですか?」

と別案を同時に出すようにしている。つまり思考を停止するのではなく、更に前に推し進めるように活性化させることが大事。

なんにせよ、一般的な挨拶や敬語などの言葉の使い方以外で、何よりも先にこうした言葉の精神論を掲げる人達に一流はいないのがどの世界も一緒。安易な方法で楽できるほど甘いもんじゃないよ。